けいじいの徒然雑記

64歳で会社を退職し、晴れて自由人。やり残した人生を気ままに生き、しょうもないことを語る。

八丈島 1日目

昨年12月初め、八丈島へのツアーに参加した。

新型コロナウィルスの感染が拡大しつつある時期であり、キャンセルするか迷ったが、ツアー客は広島、岡山からの限定であり、GoToトラベルが行われていた時期であったので感染予防を万全にして参加した。

広島から羽田経由での2泊3日のツアーである。

 

1日目

広島空港を9時過ぎにANA674便で出発し、羽田空港に10時半に到着し、昼食をとって12時15分発のANA1893便で八丈島に向け出発した。

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八丈島空港には13時10分に到着、羽田からは55分と1時間かからない。

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八丈島は面積は山手線の内側とほぼ同じで、八丈富士と三原山の二つの山をはさんでひょうたんの形をしており、その間のくびれた部分に空港や街が開けている。

大きく分けて5つのエリア大賀郷、三根、樫立、中之郷、末吉に分かれる。

 

ツアーは阪急交通社主催であるが、島内でのツアーは八丈島町営のバスとガイドで、総勢は20数名程度で廻った。

天気予報は3日とも雨だったが1日目は曇り空で何とか雨は回避できた。

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初めに訪れたのは空港の近くの大賀郷エリアにある、宇喜多秀家の墓である。

秀家は豊臣秀吉五大老の一人で備前岡山城の城主であったが関ヶ原の戦い石田三成側に付き、敗れ一旦は薩摩に逃げるが最終的にこの島に流された、

そのため墓の周りには岡山城天守閣礎石が設置してある。

八丈島は流人や漂流者が多い。

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すぐ横には住居跡がある。

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次に訪れたのは大里地域の玉石垣で、近くの横間海岸から取れる丸い石を運び、石垣を作っている。

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六方積という手法で規則正しく積み上げられている。

ひとつの石の周りは六つの石で囲まれている。

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そこから西方向にバスを走らせ、海岸に到達すると宇喜多秀家公と妻の豪姫の碑がある。

豪姫は前田利家の娘で秀吉に養女として迎えられ、のちに宇喜多秀家の妻となったが、秀家が流されるときには同行はしていない。

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この碑の海側は南原千畳敷海岸となっており八丈富士の噴火で流れ出した溶岩が流れ出て固まった地域である。

海の向こうには八丈小島が見える。

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 近くに行くと蛇のように溶岩が固められごつごつしている。

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この近くでは最近クジラが出現するそうだ。

この日も運よく出現した。

僕は実際に塩を吹くクジラを目にすることはできたがカメラには納められなかった。

代わりにクジラを眺める観光客たちを写した。

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八丈富士を時計回りに海岸沿いを走ると、大越アロエ園がある。

珍しいアロエがあった。

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そこには展望台があり、大越鼻灯台が見える。

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左側は違う姿の八丈富士が見える。今は無人島である。

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さらに海岸沿いを右回りして三根エリアに入ると、宿泊場所のリードパークリゾート八丈島に着く。

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部屋は山側だったが、広く快適であった。ただ、隣の音がかなり聞こえた。

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夕食は和懐石。

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明日葉ビール。

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夜には屋上で星空ツアーが予定されていたが、残念ながら曇りで中止になった。

 

つづく