雨が夜中から降り出し、朝方も小雨模様だった。
トラックは数台いたが、まったく気にならなくぐっすり寝ることができた。
雨はそのうち上がるようなので、津和野に行くことにした。
津和野は学生時代、授業をさぼって合ハイで来たことがある。
でも津和野城に行ったくらいでそんなに詳しくは観ていない。
今日は隅から隅まで観光することにする。
車は役所の駐車場に停めた。
観光の場合は500円取られる。道の向かい側のガソリンスタンドで料金を払ってパンフレットをもらった。
駐車場から裏を通って役所側に出ると殿町通りに出る。
鯉が堀割に泳ぐ有名な場所だ。
役所の出入り口は大岡家老門である。
隣の多胡家老門。
すぐそばに津和野川が流れている。良い雰囲気だ。
信号を渡って弥栄神社に出る。
そこを過ぎると太鼓谷稲成神社の入り口がある。
千本鳥居を登っていく。
日本五大神社の一つであり唯一「稲成」と書く。
お参りした後、津和野城に向かう。
歩いて登るか迷ったが、今日は沢山歩くのでリフトにした。
リフトに乗ったのは今日僕が初めてで、結局降りるまで誰もこず、降りた時に二人乗ってきた。
リフトに乗るとき、パンフレットをもらった。これが助かった。
リフトを降り少し登ると、崩れたみたいで出丸には行けなかった。
雨上がりで森林浴が気持ちが良い。
三段櫓。それぞれに櫓が建っていたらしい。
東櫓門跡。
西櫓門跡。
南櫓門跡。
三の丸。
三の丸の北側に人質櫓跡がある。石垣が見事だ。
そこから少し登ると天守跡。まだ上があるのに?
二の丸。
そこからさらに階段を上がると、
三十間台と呼ばれる広場がある。ここが一番高い。
人質櫓跡、三の丸が見える。
ここは景色が良い。
さだまさしが「案山子」の歌詞に織り込んでいるらしい。
レンガの煙突は見えないが。
電車が来た。
この下がさっき行った天守だった。
天守が一段低い所にあるのは珍しいそうだ。
西門側には台所櫓と海老櫓跡が見える。
誰も来ないのでしばらくまったりとし、降り始めた。
帰るとかえるがいた。
再びリフトに乗り、来た方向ではなく南側に降りた。
しばらく歩くと森鴎外の生家がある。
質素な家だった。
隣は森鴎外記念館。
そこから殿町通りに戻っていると猫の館があった。かわいい。
杜塾美術館。
元庄屋だった家で、中尾彰と吉浦摩耶の絵画が展示してあった。
庭も素敵だった。
帰りはすっかり青空で津和野川が映えている。
再び殿町通りに戻り養老館へ。津和野藩校で森鴎外なども関わっている。
今は北と南の教場に分かれている。
南側では将棋の竜王戦も行われた。
行きたかった津和野カトリック教会は工事中で見学できなかった。
津和野町日本遺産センターへ。
ここでは江戸幕末に生きた栗本格齋が「津和野百景図」なる当時の名所や習俗、食文化を百枚描き、詳細な説明文を加えたもので、津和野が日本遺産に選ばれた軸になっている。
ここでは当時の絵と、同じ場所の現在の写真が比べられるようになっている。
現物も展示してあった。これは津和野城。
そこから駅方面に歩いて昼食をいただいた。
塩十割そばというのがあったので注文してみた。
つゆをかけずに薬味と左下のミネラル塩をかけていただく。
さっぱりしてそばの味がよく引き出ていた。左上のはこんにゃく。
蒸気機関車が着く時間に合わせ津和野駅に行ったが、本日は走ってなかった。
仕方がないので展示してある蒸気機関車を撮った。
そこから乙女峠マリア聖堂へ。
かなり登る。
かわいらしい教会が見えてきた。
中もマリア様の像とイエス様の絵が飾られている。
明治元年、長崎の隠れキリシタンが153名津和野に流刑となり、明治6年キリスト教禁止の高札が撤廃されるまで、5年間拷問されつづけ37名が殉死した。
その中の一人、安太郎は三尺牢に入れられた時、毎晩マリア様が出現し慰めらたとのこと。
ということで乙女峠聖マリア聖堂という名がつけられた。
つづいて永明寺へ。
ここも改修中であった。
本堂は茅葺屋根だ。
すっかり晴れて城跡では見えなかった青野山がくっきり見えてきた。
駐車場まで戻り、鷲原八幡宮へ。
駐車場はないので少し行った空き地に停めた。
ここの屋根も改修中だった。
流鏑馬の馬場が残っており、毎年4月に神事が行われる。テレビでよく見る。
一通り津和野を堪能したところで道の駅「津和野温泉なごみの里」へ。
ここは昨年の9月に来たことがある。
温泉はコロナウィルスの影響で明日まで休館だった。
昨年と同じ場所に停めた。
結局今日も18000歩歩いた。
今、夕方6時前だが殆ど車はいない。
明日はどうするかまだ決めていない。
天気が良さそうなので須佐湾に行ってみようかな。
つづく