けいじいの徒然雑記

64歳で会社を退職し、晴れて自由人。やり残した人生を気ままに生き、しょうもないことを語る。

ゴルフのこと

僕がゴルフを始めたのは、会社に入ってからのこと。中学校からの友達と一緒に練習場へ通った。ある程度実力がつくまではコースに出ないと決め、半年くらい練習に集中した。初めてコースに出たときのスコアは124であった。

それから会社のメンバーと僕の友達とでゴルフクラブを作った。

「YKG会」という名前でこれが結構楽しかった。実はYKGというのは僕の名前のけいじからヤングケイジというのをもじって命名した。メンバーは最高で20名くらいでみんな初心者だったがゴルフが好きで2か月に1回コンペを行い和気あいあいとゴルフを楽しんだ。1泊2プレーでコンペを行ったこともある。たしか40回くらいやって、僕が転勤したことに伴い自然解散してしまった。いまでもそのメンバーの一部とは一緒にゴルフを定期的に楽しんでいる。

このころは仕事も忙しかったが、とにかく寝ても覚めてもゴルフのことを考えており、夜遅く帰っても必ず素振りをして、休日には練習場にも結構通った。ただ、最初に始めたときコーチには習わないと友達と約束した。お手本はベンホーガンの「モダンゴルフ」という本であった。グリップの握り方からすべてその本に従った。従って我流なのであまりうまくはならなく、また、結婚して家計が苦しくなるにつれ頻度はかなり少なくなり、練習もしなくなった。最初にメンバーになったゴルフ場でのオフィシャルハンディは19どまりであった。

転機が訪れたのはマレーシアに赴任してからだ。マレーシアであるゴルフ場のメンバーになり、そこで日本人だけで構成している「〇〇会」というゴルフクラブに入れてもらった。

そこでは30人くらいのメンバーがいてローハンディの方々も属していた。毎週土日には、ローハンディのグループと僕ぐらいの実力(あまりうまくない)のグループでそれぞれ何組かでプレーをしており、インターネットで申し込めばプレーできた。また月1回は全体で月例会を行うのでローハンディの方とのプレーができそれが楽しみだった。

年1回やるマッチプレーも初めてで楽しかった。初めて月例会で優勝した時は本当に嬉しかった。

マレーシアでは会員になるとプレー代は無料なので、キャディとカート代、合わせて日本円で1500円くらいでプレーできた。また18ホール通しでプレーするので午前中にプレーしてその後昼食でみなでわいわいと反省会をし、家に帰っても2時くらいなので家の用事もできた。

単身赴任の僕はほかにすることもないので、旅に出る以外はとにかく土日はゴルフをして、年間最高84回プレーした。とにかく皆さん真面目にゴルフに取り組んでおり勉強するとともにとても楽しかった。

そこでのハンディはコースが難しく20であったが、日本に帰ると頻繁に80台が出たので、少しは実力がついたと思う。特に飛距離の出ない僕は寄せとパットの技を磨いた。

ただ60過ぎるとますます飛距離は落ち、同じ年代の中でも最低のほうであり、二打目をスプーンで100ヤード近くに打ち、3打目でオン、ツーパットのボギーというゴルフをしている。

また、このところ右肩が上がらないので、左手一本で打っており、このところのスコアはダメダメである。

とはいえ、ゴルフは大好きなので、早く右肩を直し、体力と相談しながら75くらいまでは楽しめたらいいなと思っている。